外見だけでなく脱いでも13歳とは思えぬ特徴を持つ肉体に賛否両論
少女M(後編)


 前回、ロリータアイドルとしての少女Mの足跡を語ったが、今回は、その活動の後半について述べたい。前回の終盤で、彼女を軽く揶揄するような表現をロリコン専門誌でしたライター氏が事務所の逆鱗に触れたエピソードに触れた。現代であれば、こうした話も、別段、驚異ではないが、この当時のロリータモデルとしてはかなり特異な事だった。
 というのは、これまで、このコーナーで紹介して来たロリータアイドルと呼ばれた少女達のほとんどは、かっこよくいえばフリー、早い話が事務所などに所属するレベルの活動をしていなかったか、もしくは、せいぜい、ファッション系モデルクラブか児童劇団でも、それほど大掛かりな組織に所属している程度だった。 決して、そうした事務所を批判するわけではないが、いくらロリコンブーム最盛期であっても、日常的にテレビドラマやCM、有名ブランド系のカタログ誌などから、次々とオファーが舞い込む所は、未成年の所属タレントにヌードの仕事を割り振る事はなかった。


▲85年9月、豪華本写真集『ロマンス Part2』でデビュー。以降、数少ないプロの少女ヌードモデルとして、週刊プレイボーイ、平凡パンチなどのメジャー週刊誌のグラビアに登場。


 唯一の例外が、その後アイドルを経由して現在も主人公の娘役として人気刑事物のシリーズに出演するなど本格女優として活躍しているOが、7歳当時、ロリータ写真集に登場したケースがあるぐらいだ。後のアイドル時代、官庁系の交通安全だったか、
未成年の非行防止だったかのポスターに登場した際、7歳当時のヌードが問題となり、出来上がって全国に貼り出すばかりとなっていたポスターが回収、破棄されるという事件に発展したことがあった。多少話がそれてしまったが、この写真集は、今後ともこのコーナーで紹介する事は出来ないし、女優名を証す事もできないが、ブームの終焉後のエピソードとして記憶にとどめておく価値はあると思ったので触れたわけである。
 さて、話を整理するが、今回の少女Mと、その妹分にあたり、この連載の最初の方で紹介済みの諏訪野しおりの二人が所属していた事務所は、明らかにロリータブームを足掛かりにして芸能界進出を狙っていた。その結果、『ビロビロワレメのM』という表現が逆鱗に触れたのだろう。そのタレントとしての第一歩は、`85年7月発行の「あなたへ… 私は不等記号ーMにさよなら」(山手書房刊)と題されたエッセイ本である。著者名は少女Mと田中みおという名前が並記されている。タイトルを見れば大半の読者は判ると思うが、少女Mとしての自分を封印し、あらたに田中みおの名前で再スタートするという意思表示であった。タイトルに不等記号という、あまり聞き慣れない数学用語を引っ張り出して来たウラには、未成年ヌードモデルとして、現在でいうところのグラビアアイドル的存在だった少女Mと、これから歩き出す田中みおは全くの別物ですよ、という事だった。


▲劇場公開映画『スクラップ・ストーリー』の主演で芸能界デビュー、シンガーとしてレコードでビューも果たす。その後、テレビドラマなどにも出演、当時、多くのアイドルが出していた『タレント本』も発売された。


 実は、彼女より後に写真集とビデオを一作ずつ出した後、Mより先に、連ドラの主役グループの一人として芸能界デビューした、諏訪野しおり(若葉しをりと改名=詳細はこのコーナーの諏訪野しおりの回参照)が、ロリータアイドル時代を完全に封印したものの、女優Oの様な降番劇こそなかったものの、ロリータメディアがこぞってネタばらしするという事態に陥った事があった。今回は、その教訓を生かすとともに、『元少女M』であると明言して、しおりとは比べ物にならないグラビア時代の実績をひっさげてタレントデビューという思惑が絡んでのことだろう。それにしても、最初に裸(水着)で注目を集め、人気の上昇と共に着て行くという展開と、巨乳系事務所の名物社長の戦略を20年以上前に実践していた事務所の先見性はかなりのものだが、いかんせん、ロリータメディアの向い風が強すぎた。

第七回少女M(後編)

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